『正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる』

自由を否定し、自由を奪い、自由から目を背ける者は、何れ、自由によって裁かれる。個人を否定し、個人の自立を奪い、個人の権利から目を背ける者は、何れ、個人によって裁かれる。真実を否定し、真実を隠蔽し、真実から眼を背ける者は、何れ真実によって裁かれる。それらに対して、沈黙する人々もまた同罪である。 No Justice ! No peace ! 正義とは 「善に基づいた行動、良心に従った発言」 自由とは 「自分を愛するように貴方の隣人を愛する事」 『主の目はどこにでもあって、悪人と善人とを見張っている』【箴言 第15章 第03節】

真実を追求します。それは宗教や信仰ではなく、科学的、倫理的、哲学的根拠で求める事です。自分を愛するように貴方の隣人を愛しなさい。

罪を贖うために

私はなぜ聖書を読むか?
私は毎日、罪を犯しているのです。
心の中で人を疑ったり、嘲笑したり、心配した振りをしたり、善人ぶったり、邪悪な念を絶えず抱いているのです。
故に毎日、聖書を読むことでそれを贖っているのかも知れません。
そもそも人間として生まれてきたことが罪なのですから。

人の原点は同じ

人の原点が同じである故、人を差別してはいけないのです。生まれた時の地位や、財産、場所など、人それぞれです。然し、それはその生まれた本人の本質や資質ではなく、あくまでも付随している装飾物でしかありません。故に
『同じものと等しいものはお互いに等しい。それは自明の理だ。我々の始まりは等しい。それが原点であり、調和であり、公平さである。そして正義である。』と言う平等の理念が成り立つのです。


ただ、その原点から人は成長します。その成長過程で、さまざまに変化します。そこに差異が生じます。それを全て平等、公平にすることは不可能なのです。

差別をなくす、と言う事は、人間の原点(民族や人種)を差別してはいけない、と言う事なのです。

決して油断するな!

この国では決して気を緩めてはならない。喜んではならない。笑顔を見せてはならない。何故なら、この国は悪に支配されているのだから。

日本は差別だらけ

映画『主戦場』の監督ミキ・テザキさんが日本人同士で差別が行われている実態を客観的に明確に暴いています。日本人が世界的に稀にみる愚民族であるか?この動画が証明しています。
日本人は他国の瑕疵は非難するが、自国に邪悪は容認すると言う本当に腐った民族なんです。正に悪魔(天皇)を崇拝する邪悪な国家、日本。




聖書は科学である

知を求める賢者の人々は考えましょう!正義や自由。平等や幸福を追い求めていれば必ずや解決策は見えてくるはずです。例え、生きている間に見出せなくても、その良心や善、愛は永遠に継承されます。

ハリケーン デンゼル・ワシントン

私は希望や自由を与えてくれる映画が好きだ!

聖書を否定する日本

法は命令である。ではその命令は誰が下すのか?実は簡単なようで、簡単ではないのです。法を下すのは罪を犯していない者が、罪を犯した者に下すのです。罪を犯した者の下す法で、罪を犯した者を裁けるはずもないのだから。

と言う簡単な論理がありますが、実は罪を犯していないと言う人間はいません。聖書に書いてある「人が人を裁けない」と言う所以はそこから来ているのです。
ではどうやって人の罪を裁くのか?神の言葉(聖書)を見聞きし、それを理解し、その言葉を伝える事が人間のできる裁きなのです。自分の言葉ではなく、神の言葉(聖書)でしか、人を裁くことはできません。故に、聖書を否定する日本は、決して、善人が悪人を裁くことがなく、悪人が、善人や悪人を裁いているのです。

野党は馬鹿(安倍晋三、自民党、官僚、腐敗メディア、下衆右翼)を相手にするな!

既に、馬鹿(安倍晋三、自民党、官僚、腐敗メディア、下衆右翼)を相手にしても無意味。今、野党がやるべき事は連立を組んで、未来をどう訂正するか?議論し、訴えるべき!ここまで破壊しつくされた民主主義をどう立て直すか?今、日本人に必要なモノは何か?具体的に議論すべき!例えば、倫理や哲学の教育。私達が生きる為に欠かせないものは?生まれてきた意義は?

映画ワルキューレ

ヒトラー暗殺を試みた正義のドイツ人の映画です。
もう何回も見ましたが、最後のシーンで銃殺する側、つまりヒトラーを崇拝している側も涙を堪えている場面があります。
実は、彼らヒトラー側の兵士もその心の奥底にヒトラーへの疑問を持っていたのでしょう。
然し、なぜ、彼ら(ヒトラー側の兵士)がヒトラーの命令に従ったか?戦争に勝つと言う一抹の望みをまだ抱いていたのだろうか?
天皇の悪あがきに似ている。

You did not bear the shame
you resisted
sacrificing your life
for freedom, justice and nonor


永遠の奴隷

『わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた』【テトスへの手紙3‐3】

私は今でも迷い、情欲と快楽に耽り、悪意と妬みの日々を送っている・・・・・。それは悪魔の奴隷であり、神への奴隷ではない。
どうか聖書(神)の言葉を繰り返すことで私の大罪を贖ってください。私は神への奴隷を願望します。

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