『懺悔の言葉』神への贖い

自由を否定し、自由を奪い、自由から目を背ける者は、何れ、自由によって裁かれる。個人を否定し、個人の自立を奪い、個人の権利から目を背ける者は、何れ、個人によって裁かれる。真実を否定し、真実を隠蔽し、真実から眼を背ける者は、何れ真実によって裁かれる。それらに対して、沈黙する人々もまた同罪である。 No Justice ! No peace ! 正義とは 「善に基づいた行動、良心に従った発言」 自由とは 「自分を愛するように貴方の隣人を愛する事」 『主の目はどこにでもあって、悪人と善人とを見張っている』【箴言 第15章 第03節】

真実を追求します。それは宗教や信仰ではなく、科学的、倫理的、哲学的根拠で求める事です。自分を愛するように貴方の隣人を愛しなさい。

サタンに支配される時

なぜだろう?なぜだろう?私はサタンに支配されている。今はサタンは影を潜めている。しかし、何れ私の中のサタンがまた私を壊してしまう。

私は神に支配されているのか?サタンに支配されているのか?
神は永遠で、全宇宙の支配者である。それはつまり、サタンもその支配下なのである。
神よ!私からサタンを遠ざけてください。
私をあなたの直接の支配下に置いてください。
私は日々、あなたの正義と自由と平等と真実を追い求めています。

私にサタンを支配させてください。
私はサタンの悪行と誘惑と堕落と腐敗を知っています。

私はあなたの右の座も、左の座も座れる存在でないことは知っています。
どうか、私をサタンの配下ではなく、ただただ主の配下に置いてください。

嘘と言う本当の事

私は嘘をついています。しかし、それは本当のことなんです。
嘘だけど、それは私の本心であり、私の本当の姿なんです。
そしてその本当の姿は悪魔に支配された醜く汚らしく、異臭を放つモンスターでしかありません。
私はゲヘナへ落ちます。それは神の命令です。悪魔を受け入れて、悪魔と戯れる私の犯してはいけない嘘の贖いです。

私の責任

私は他人のせいにしません。全て私の責任です。全て私のサタンに従った責任です。だから他人のせいにしません。私から邪悪で愚かで不正な行動を行っているのです。大淫婦バビロンの様に。

同居して

生きていくしかありません。私の人生の半分以上が私に偽証して生きてきたのです。ただその偽証を明かすと、それはサタンを受け入れることになるのです。私の心の中の善と悪が絶えず、私の心の中で戦っているのです。私は一時期、その悪に打ち勝ったかのように見えました。私の善が私を聖者のごとく、正しく、正直に生きている様に見えました。しかしそれはまやかしでしかありません。私の心の中のサタンは私の心の片隅で密かに潜伏していたのです。
そして今また、そのサタンは私をふしだらで強欲で、好色で、大淫婦バビロンの様に私を堕落させるのです。私はサタンに負けたのです。私は人間です。神が創造した人間です。神は私を創ったのです。そして神は私の罪を贖うために私の心にサタンを棲まわせているのです。

私は私の罪を贖うために、神の指示によってサタンを受け入れます。私の心にサタンを棲まわせた神の命令に従います。そしての奇すしい業をおこなう神を恐れます。サタンが棲まう私でさえ、神は私をお創りになったのですから。私は永遠に贖います。

諦めました

私は私の中にある善と悪の両方を受け入れます。それは神に背く行為であり、サタンを受け入れる行為です。私は何度となく神に切望しましたが、私の中にあるサタンは私から出て行かなず、そして、私はそのサタンを引き留めているのです。それは私が生まれてきた運命であり、そして、贖いです。神様、私の罪を許してください。私の悪を容赦してください。私は私の運命に従います。それは神が私に命じた運命なのです。地獄に落ちるのも受け入れます。受け入れたくありませんが、受け入れざるを得ないのです。私が私の悪を、私自身で喜んでいるのですから・・・・・。哀れな人間です。神よ、私をお許しください。

生まれた理由

私達はだれしも望んで生まれてきたものはいません。言葉を変えれば、私達は強制的にこの地球に生まれさせられたのです。それは人間でも象でも猫でも蟻でも同じです。
だから私たちは私たちの自由を奪ってはいけないのです。私たちが強制的に存在させられた見返りとして私たちは自由に生きる権利と責任と義務があるのです。そしてこの公平に与えられた自由を誰も奪うことは出来ないのです。
自由とは?あなたの身勝手は、他人の自由を奪います。それは自由ではありません。
自由とは「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」この概念はあなたを身勝手にしません。

私の存在

『わたしは虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。私を見るものはみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります』詩篇 22.6-7

わたしの存在など虫けらでしかない。なぜなら、私は絶えず神に背いている。聖書を読み、詩篇を読み、涙を流すが、私は表面は神を切望しながら、その醜い心では神を蔑んでいるのだ!私の涙は偽善だ!神が一番嫌う行為だ!私が私を虫けらと言う事も、私の心ではそれを否定している。サタンが私の中で神を嘲笑し、神を憎むように仕向ける。そして私はサタンの堕落を快楽と好色でその罠に陥り、サタンを憧憬する。私は絶えず、後悔するが、決して反省はしない。私は虫けら以下です。これは真実です。私は私が虫けら以下であることを否定しません。それはサタンに憧憬を示すからです。神よ!私の邪悪な心を救い出してください。アーメン。

フィラデルフィア

また見てしまった。トム・ハンクス、デンゼル・ワシントンの「フィラデルフィア」。聖書に男色は死罪だと書いてある。多くは語れない。ただ、エイズだからと言って職を解雇することは違法である。
私はこの映画に「愛」を感じる。



愛が何かと分かる時がある
その時、僕の心は落ち着く
世界中に友達がいる友達がいた
子供の頃に 何も隠さない頃に
兄弟愛の街 ふるさとの街よ
見捨てないで 独りにしないでくれ
誰かが僕の名を呼びかけて
僕に言う 愛を恥じる事はないと
兄弟愛の街 兄弟愛

愛が何かと分かる時がある
その時僕の心は落ち着く 永遠に

結局

テレワークや在宅勤務で時間的な余裕ができて、色々やるべきこと、できる事があったのだが、仕事をするわけでもなく、したとしても全く無意味な行為で何の利益も出さない行動。そしてただただ無駄な時間を垂れ流して、腐った快楽に浸っていただけなのだ!いくら、私は真面目に生きている!誰にも迷惑をかけていない!私は正しい!と声高に叫んでも、所詮は偽善者なのだ!私は不真面目で、主に背き、不正を行っている。私の主張は全て偽善なのだ!主はそれを見抜かれている、そして裁かれる。ただ、私は祈ることだけは忘れなかった。主よ、私の祈りだけは真実であり、正義であり、懺悔であると知ってください。

懺悔

私は私の罪の中での快楽で満足なのです。私の罪は永遠に贖われません。なせなら私がその罪を切望し、サタンへの堕落を受け入れているからです。故に私の罪は私から逃れる事が出来ないのです。ならば、神よ!その罪の中でわたしをお許しください。その快楽の中でサタンと共に投獄してください。私の罪をサタンと共に封印してください。それが私が生まれてきた罪の贖いです。
『知恵のない者はむなしい知識を持ってしか答えない。東風によってその腹を満たすだけだ。知恵のない者は無益な言葉を使って論じ、役に立たない論法で論じるだけである。』
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